「○○すべき」は視界を狭めてしまう

日常会話やSNS、職場などでよく耳にする「○○すべき」という言葉。
「親なら子どもをこう育てるべき」「残業してでも仕事は終わらせるべきだ」「荷物は時間通り届けるべきだ」など、一見するともっともらしく聞こえます。
私はこうした言葉に少し違和感を覚えるようになりました。
というのも、「すべき」という言葉には、自分の価値観や経験を“正解”として前提にしてしまうような力があるからです。
もちろん、それが間違っているというわけではありません。
ただ、自分の「正しさ」にこだわりすぎると、他の考え方や立場に目を向けにくくなってしまう気がするのです。
気づかないうちに、「違う考え方をしている人=間違っている人」と見なしてしまい、ちょっとした対立やモヤモヤにつながることもあるかもしれません。
マナーやルールが必要な場面もありますし、全てを受け入れるのがいいという話ではありません。
それでも、「すべき」ではなく、「こういう考えもあるんだな」と受け止めることができたら、少し気持ちが楽になったり、相手との距離が近くなったりすることもあるのではないでしょうか。
私自身、つい「○○すべき」と考えてしまうことがあります。
そんなときは立ち止まって、「それって本当にみんなに当てはまるのかな?」と考えるようにしています。
いろんな価値観が共存する今だからこそ、自分の枠を少しだけ広げてみる——それだけで、少しやさしくなる気がしています。